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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

「どちらでもよい」と甲斐はまた答えた、「自分でやりたいと思うものをやるがいい」

一玄の顔がひき緊った。

甲斐の声からなにかを感じとったらしい。横柄な態度を改め、坐り直して、二絃琴に向かった。

甲斐はその琴を見た。

一玄は琴を弾じながら、うたい始めた。それは太平記の俊基関東下向のくだりで、「路次にて失わるるか、鎌倉にて斬らるるか、二の間をはなれじと思いもうけてぞ、いでられける」というところまでを口語りにし、それから、落花の雪にふみ迷う、――にかかって、初めて低くうたいだした。

琴も唄も、曲は自分で作ったものとみえ、あまり変化もないし、ここが聞かせどころかと思うような、派手な節調もなかった。まるで琵琶の古曲でもかなでるような、単調なうたいぶりであったが、その少ししわがれた声や、響きの低い、こもったような琴の音色には、深い詠嘆のおもむきが感じられ、甲斐はいつか、盃を忘れて聞きいった。

――傾く月の道見えて、明けぬ暮れぬとゆく道の、末はいつくと遠江、浜名の橋の夕潮に、引く人もなき捨て小舟。

と唄はすすんでいたが、甲斐はそこで、われに返ったように顔をあげ、誰か哀れと夕暮の、いりあい鳴れば今はとて、池田の宿に着きたもう、というところで、静かに、「もうよい」