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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
03 第三部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页
「あんなに呼んだのが聞えなかったの」とおみやは寄って来た、「なにを考えてたの、どこへゆくの、あれからどうしてたの」
新八はおみやを見て、もう会わない筈だぜ、と云った。おみやは苦笑して、恥ずかしい、それを云わないで、と眼をそらした。
「そのことでもあんたに話しがあるの、ちょっとそこまでつきあってちょうだい、いいでしょ」
「うん、――いいよ」
「うれしい、ついそこの池之端なの、あんたすっかりおとなになったわね」
新八は、よしてくれ、と顔をそむけた。
「さきへいってくれ、並んで歩くと人が見ていけねえ」
「逃げやしないわね」
新八は、うん、といった。
六月の、曇った午後の三時ころで、陽気が狂いでもしたように、肌がひんやりするほど、涼しかった。寛永寺へ参詣した帰りだろう、どこかの大名の行列が、黒門から出て来て、往来の人たちは横丁へ避け、おみやと新八も、いそいで仲町のほうへ道を曲った。
そこから池之端へ出、不忍の池の畔をまわって、弁天の茶屋のほうへゆくあいだ、新八はうしろから、おみやの姿をつくづくと眺めた。おみやは少し肥えていて、ほっそりしたのが自慢だった腰も、肉が付いて厚くなり、肩なども張ってきたようにみえる。