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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

――可哀そうに。

と新八は心のなかで呟いた。かつておみやにいだいていた、恨みや、怒りは、もう少しも残ってはいなかった。おみやに罪はない、おれの性分がおれ自身をこうしたんだ。彼はそう思うようになっていた。湯島の家で暮しているあいだに、自分の経験したことは自分の性分から出たもので、これからさきも、その経験を生かしてゆけばいい、おみやには責任はなかったし、或る意味では感謝してもいいくらいだ、そういうふうに考えていた。

「おれは必ず新らしい唄をあみ出してみせる、おれ自身の経験した、人間の悲しみや絶望感や嘆きを、おみやをとおして、女の哀れさや、愛情のせつなさや、よろこびを、そういうものをうたいあげてやろう」と新八は呟いた。

侍の世界はちがうんだよ、と彼はおみやの寝姿に呼びかけた。おまえは黒田という人を罵った。しかしあの人はなんとも思やあしない、侍というものは、自分や自分の家族よりも、仕える主君や藩のほうが大事なんだ。おまえも武家に生れたそうだし、おれも侍だった。けれども、おれたちにはあんな生きかたはできない。あの人たちからみれば、おれやおまえは堕落した賤しい人間だろう。