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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
03 第三部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页
「偽物を作るなどということはあるまい」
甲斐は証書を巻いた。ちょっと途方にくれたという表情で、やがて達弥を見やり、訝るように訊いた。
「どうして手にいれた、いつぞや話したあの女か」
「滝尾と申す侍女です」と達弥が答えた。
甲斐は達弥から眼をそらしながら、代償はなんだ、と訊いた。達弥は俯向いて、すぐには答えられないようすだった。甲斐は黙って待った。やがて、達弥がぽつんと云った。
「なにもございません」
甲斐はなお黙っていた。
「滝尾は屋敷をさがりました」
「――どういうことだ」
「これを私に渡した日に、そのまま屋敷へは戻らず、ゆくえも知れなくなりました」
「それだけではわからぬ」と甲斐が云った、「もっと詳しく聞こう、いつのことだ」
「十日ほどまえのことです」と達弥は甲斐を見た、「こちらに新八という者が御厄介になっておりましょうか」
「いまはいない、四、五日まえまでいたが、それがどうした」
「四、五日まえ」と達弥は呟き、それから、ではその男といっしょではないかと思う、と云った。
達弥は池の茶屋での始終を話した。
滝尾と自分との関係には触れなかったし、甲斐もしいて聞こうとしなかったが、およそ推察しているようすで、それなら新八といっしょかもしれぬ、と頷いた。