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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
03 第三部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页
甲斐は暫く考えていて、それから、屋敷を出るがいいな、と云った。
「気づかれてからではおそい、いまのうちに出るほうがいいぞ」
「私はこのままおります」と達弥が云った、「幸い支配に認められて、勘定部屋の常勤めになりましたし、いまでは士分の扱いを受けております、近く扶持も増されるもようですから、これからまだ充分お役に立つことができると思います」
「うん、そうかもしれない」と甲斐はあいまいに呟いた、「この役目を頼んだのはおれだった、おれがおまえにこのいやな役目を頼んだのだ、もちろん、こういうことをしてもらおうと思ったのではないが」
「私は自分の役目を知っております」
「わかってる、おれはこんどの事で、おまえに万一のことがありはしないか、もしもそうだとすれば、無用の危険は避けるほうがよい、と考えただけだ」
「その点では私よりむしろ滝尾のほうが危険です、滝尾のしてくれたことに対しても、ここで私だけが、身の安全を計るというわけにはまいりません、私は屋敷へ戻ります」
達弥が去り、甲斐は元の座敷へ戻った。そこにはかよはいず、おくみが縁先の簾を巻いていた。
午後の陽が傾いて、中庭はすっかり蔭になり、女中の一人が植込へ水を打っていた。