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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

茶は不出来だった。おくみはまだ気持がおちつかないのだろう。湯がこなれていず、おまけにまだ熱かった。甲斐は黙って喫し、茶碗を置いておくみを見た。

「今年はまだ芙蓉が咲かないようだな」

おくみは訝しそうに見かえり、それから、ああと頷いて、虫が付いたので、ついこのあいだ切ってしまった、と云った。神経が尖っているためだろう、切ってしまったと云ってから、それがなにか不吉な前兆ででもあるかのように、怯えたような顔つきをし、眼をそらした。

久馬が知らせに来るまで、二人は黙って坐っていた。

「こんどはいつ来て頂けましょうか」

おくみは甲斐が立ちあがったとき、こらえきれないような口ぶりで訊き、じっと、甲斐の眼を見あげた。甲斐は微笑を湛えた眼で、なだめるようにおくみを見、脇差を差しながら答えた。

「月が替ったら来る」

「きっとでございますね」とおくみが云った。

それは来ることを慥かめるというより、それまで無事でいてくれるか、という意味のようであった。甲斐は頷いて、きっと来ると答え、おちついた足どりで居間を出た。

馬は三頭、伊達家の紋を印した提灯をつけて、久馬が先、村山喜兵衛がしんがりで、夜の街を芝へいそいだ。