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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

甲斐は答えるまえに、深く息を吸いこみ、空を見あげながら、静かにそれを吐きだした。

「涌谷さまも初めはそう云われた」と甲斐は穏やかに頷いた、「十左衛門が納得しかねるのもむりではない、だが、事の起こりからを考えてみればわかる、まず、綱宗さまに対する殆んど無根拠な譴責と、跡目をきめるについての難題だ、そして同時に、二方面に手が打たれた、一は酒井侯が一ノ関に与えた三十万石分与の密約であり、一は幕府閣老の某侯が、松山を呼んでひそかにその密約を告げたことだ」

「一ノ関に三十万石分与、――」十左衛門が頭を傾げながら反問した、「そんなことが、事実あったのですか」

「あったのだ」

「よもや風聞ではございますまいな」

「酒井侯と一ノ関とで取交わした証文があり、仔細あってその一通を私が持っている」

「紛れのないものですか」

「紛れのないものだ」と甲斐が答えた、「もちろん一枚の紙きれだから、動かぬ証拠とはいえないだろうし、酒井侯にはたやすく否定することができるだろう、ここが眼目なのだ、いいか、――この密約が交わされると同時に、幕府閣老の某侯がひそかに松山を呼んで、そういう密約のあることを告げたのだ」