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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

その声が現実に聞えるように思って、甲斐は抱いている腕に力をこめた。宇乃はぴったりと身を押しつけ、甲斐の腕へ頬をすりよせた。甲斐は深く息を吸いこみ、仰向いて、その息をそっと、静かに吐きだした。

「おじさま」と宇乃が云った、抱かれているために、その声はなにかを口に含んでいるような、こもった響きをもっていた、「こんど江戸へいらっしゃるときに、お供をしていってはいけませんでしょうか」

「船岡がいやになったか」

「いいえ、お側にいたいだけですの」

「むずかしいな」と甲斐は云った、「むずかしいが、考えておこう」

「こんどはいけませんわね」

「さあ」と甲斐は抱いている手を放した、「もういって寝るとしよう」

宇乃は黙っていた。

「わかっているだろう、宇乃」甲斐は囁くように云った、「いつか青根の宿で云った、私はいつもおまえといっしょにいる、こちらにいても江戸へいっても、私はいつも宇乃といっしょだ、――覚えているね」

宇乃が「はい」と口の中で答えた。

甲斐は暫く黙っていた。なにか云い足りないことがあって、それを思いだそうとするようであったが、宇乃にはもう言葉などの必要はない、ということを感じたのであろう、いつもの穏やかな声にかえって、歩きだしながら云った。