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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
04 第四部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页
「涌谷さま」と甲斐は叫んだ。
そこへ二の太刀が来、脇腹に火を当てられたような衝撃を感じた。
――そうか、雅楽頭、やったな。
甲斐はそう思った。そのとき、聴力の遠くなった耳の奥で、鹿の悲鳴のような声が聞え、甲斐の眼に「くびじろ」の姿がみえた。鉄砲の弾丸に当って倒れ、雪しぶきをあげながら、瀕死の声をあげたくびじろの姿が。そうして、その大きな牡鹿は、雪しぶきの中から甲斐のほうを見た。甲斐はその大鹿が、次のように呼びかける声を聞いた。
――そうだ、追う者と追われる者とに、同一の条件ということはない。
甲斐は激しく首を振った。首は床板を打ち、すると安芸の声が聞えた。甲斐はけんめいに頭をあげ、安芸の声のするほうへと、這い寄っていった。
仕手たちのうち三人は六左衛門を追っていた。蜂谷六左衛門はこの出来事を見ると、そのまま奥へ向かって走った。走ってゆきながら、「狼藉です、おであい下さい、狼藉です」と叫んだ。しかしすぐに追いつかれ、二人の仕手によって斬られた。
甲斐は安芸のそばへ這い寄っていた。安芸は片手で頸を押え、片手を前に突いて、辛くも身を支えていた。押えている手指の下から、多量の血があふれ落ち、それが袴をずっくりと濡らしていた。