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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
04 第四部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页
「あとはつねに任せろとの仰せでした」
ではまいります、と、宇乃は答えた。
下女のつねは土地の者だから、むろん焼きかたぐらいは知っている。しかし宇乃は榾火の按配や、串を廻す間をよく教えてから、そこを出て隠居所へ戻った。――客というのは、奥山大学であった。彼はいちど館にはいり、帯刀に挨拶をしてから隠居所を訪ねたので、宇乃が着替えをし、接待の支度をする暇は充分にあった。
大学は五十四歳であるが、躯が小柄なのに肥えていて腹が大きく、髪毛はすっかり白くなったのが僅かに残っているだけだった。秋とはいえまだ八月初旬で、暑いのと肥えているために、顔は赤く、汗がしみ出るので絶えず懐紙で拭かなければならなかった。黒川郡吉岡、六千石の館主であり、かつては江戸で筆頭国老を勤めたこともあるが、いまはただ因業な、小金持の隠居というふうにしかみえなかった。
「原田どのはどうしても面会してくれないのです」と大学は云った、「御用の繁多なことはもちろんでしょうが、面談を避けるのは他に理由があるからだと思うのです」
津多女は大学の顔をまともに見ながら聞いていた。裏の樅の林でしきりに蝉が鳴いていて、どうかすると大学の話までが蝉の鳴き声の中にまぎれこんでゆくように思われた。