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ぶしをえびすということのこう
武士を夷ということの考
喜田 貞吉
「歴史地理 第二六巻第四号、第六号」1915(大正4)年10月、12月、「歴史地理 第二七巻第一号」1916(大正5)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,305 字 · 34 页
『唐書』に「倭国の東北、大山を限り、其の外は即ち毛人」とあるは、斉明天皇遣使当時の実際を示せるものにして、必ずしも太古の状態を説くものにあらずといえども、また倭国と毛人との間に他の夷族あるを言わず。前引、倭王武の「国書」にも、単に東方毛人国を征することをのみ説いて、他に及ばざるを見れば、少くも有史時代においては、東国において毛人すなわち蝦夷以外に有力なる異族あらざりしことを承認せざるべからず。東夷はとうてい蝦夷の称と解すべきなり。単に夷というまた同一なること勿論なりとす。
しかるに、鎌倉時代において京師の※(「てへん+晉」、第3水準1-84-87)紳が目して東夷もしくは夷となすものは、往々にして鎌倉幕府を指し、あるいは一般に武士を示すの語となれり。『太平記』俊基朝臣東下りの道行のうち、池田宿の条に、
元暦元年の比かとよ、重衡の中将の、東夷の為に囚はれて、此の宿に付き給ひしに、「東路の、丹生の小屋のいぶせきに、古郷如何に恋しかるらん」と、長者の女がよみたりし、其の古へのあはれまでも、思ひ残さぬ泪なり。
とある「東夷」を始めとして、『経光卿記』に、後嵯峨天皇御即位の時のことを記して、帝位は東夷の計のごとし。