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ぶけわらじ

武家草鞋

山本 周五郎

「松風の門」操書房、1948(昭和23)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,835 字 · 35 页

青空文庫

淡々としたなかに、冬の日だまりのような温かみのある老人の言葉は、それだけでも伝三郎の気持を鎮めて呉れるようだった。ながいあいだ胸に溜まっていた忿懣を残らず話してしまったことも、幾らか心をおちつかせる役には立ったのかも知れない、――では御好意にあまえるようですが、そう云ってかれは暫くその家の厄介になることになった。

ここは東海道の袋井の駅から五里ほど北へはいった野部という村である、しかしそこを通っている道は天竜川に添って、遠く信濃のくに飯田城下へと続いており、山里とはいえなかなか往来の賑やかなところであった。……老人の家は村はずれの小高い丘の上に建っていた、居まわりは松林や、籔や、畑地がつづいて、それが北へと段登りになっている、つまり天竜川下流の平野がそこで終り、ようやく山岳地帯へ移ろうとする地勢で、段登りになってゆく土地の北には、眉近に迫って本宮山系の山々があり、そのかなたに秋葉山、大岳山などの峰がうち重なってみえる、それで午後になって日が傾くと、光りはこれらの山々の峡間を辷り、高低さまざまの地形を走って、複雑な、階調の多い明暗を描きだし、ひじょうに美しい、そしてしみいるような侘しい眺めが展開するのである、……伝三郎は昏れがたになるとよく家の前の台地にあがり、薄原のなかに腰をおろしてこの眺めに見いった