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すいちゅうのかいじん

水中の怪人

山本 周五郎

「少年少女譚海」博文館、1939(昭和14)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,922 字 · 18 页

青空文庫

それは空気をひっ掻くような、またなにか宙にあるものをひきるような、えたいの知れない身ぶりだったと云う。……そして呼吸でも詰るのかと思えるような、ひどくかすれた苦しい声で、

「なんでもいいから早く。桃でも、林檎でもなんでもいいんだ。早くしてくれ」

と荒々しく叫び、びっくりした店員が飾棚の方へ行きかけると、

「ああもう駄目だ。間にあわん」と叫んだまま、くるりと背を向けて走りだした。――店員があっけにとられて見送っていると、その男は道を横切って、河岸の荷揚場の方へ走ってゆく。

――あっ! 川へ落ちる。

と思った店員は、我知らず店をとび出していった。……そして驚くべきことを見た。

その男は荷揚場から川の中へ、ずぶずぶと入っていったのである。まるで水棲動物が水へもぐるように、らくらくと自然に、水のなかへもぐって、そのまま見えなくなった。――見えなくなる刹那、首だけ水のうえに出ていたその男は、ふり返って店員の方へにやっと笑ってみせたそうである。

――河童だ!

と思ってその店員は気絶してしまった。

この話はたちまち四方へひろまった。或者はてんから笑って信じなかったし、或者はその店員をわざわざ訪ねてくわしい話を聞いたり、また別の者は、なにか天災の起る前兆だなどと云った。