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きつね

狐

山本 周五郎

「産報」1942(昭和17)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,471 字 · 17 页

青空文庫

乙次郎の眼はいつもと違ってするどい光を帯びていた、かれは自分の燧袋をさぐりながらきっぱりとした調子で云った、「もしなにかあったら提燈を振ります、そのときはすぐ手をかしに来てください」そして天守へ戻っていった。

雨はざんざんと降っていた、どこか樋の損じているところがあるとみえて、櫓の横のほうで溢れ落ちる雨水の音がひときわ高くきこえている。番士たちは今夜にかぎって乙次郎のようすがひどく緊張していたのと、あまりにはげしい雨とに圧倒され、みんなかたく膝を寄せてひっそりと窓のほうをみまもっていた。……まえにも記したように、櫓の南窓からはたいてい暗い夜でも天守がみえた、しかしどしゃ降りではだめだった、それと思えるかたちもみえなかった。

「そろそろここのつではないかな」

誰かがそうつぶやいたとき、隠居曲輪の時の鐘がやっと十時をうちだした、

「なんだ、まだそんな時刻だったのか」

みんながっかりしたような顔をした。茶でも淹れかえようかと云いながら、若い番士のひとりが立ちあがった。立ちあがった彼はなんの気なしに窓のそとを見た、すると闇のかなた、かなり高いところに赤い火のたまがゆれていた。