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ふくざわせんせいのしょせいしゅぎとわがはいのしょせいしゅぎ
福沢先生の処世主義と我輩の処世主義
大隈 重信
「実業之世界 第五巻第一号」1908(明治41)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,054 字 · 11 页
福沢先生の社会観
一体口の先は調法なもので、口の先では豪傑にも聖人にも孔子にも釈迦にもなれる。これは今の人間の智恵が、昔の人間の智恵よりよほど進んだのである。もし今の人間の口先にかかったら、耶蘇孔子の如き古の大宗教家といえども、恐らく三舎を避けるであろうと思う。しかしこれは口先や議論の話でいざ実行となると、今人は古人に及ばない。非凡人主義の役に立たない理由はこれである。一体実行せずに高尚な理屈をいったところでそれが何になる。いうて社会を攪乱するよりはむしろいわずに実行し易き事を実行した方がいいではないか。
福沢先生の社会観
福沢先生は優れた才子で人格も高かったが、人間は存外平凡なものであるということを知っておった。恐らく自分自らも平凡なることを知っておったであろう。これが根本になって福沢先生の処世主義が成立っている。それで福沢先生はあくまでも実行し得る、頗る平凡な事の外は決して口にしなかったものだ。であるから憖いな学者達、もしくは道徳家達は福沢は不都合な奴だとか、社会の道徳を破壊するとか、福沢の議論は浅薄だとか、いわゆる倫理、道徳、処世主義というようなものを標準としてしきりに攻撃したものだ。