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ふくざわせんせいのしょせいしゅぎとわがはいのしょせいしゅぎ

福沢先生の処世主義と我輩の処世主義

大隈 重信

「実業之世界 第五巻第一号」1908(明治41)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,054 字 · 11 页

青空文庫

福沢先生没後の我輩

ところが我輩や福沢先生はそんな辛抱強い陰険なことが出来ない。ごく正直に物に触れて心持がよければ喜ぶ。悪ければ怒るのだ。で善を善とし、悪を悪とする事に於ては、当世流の遠慮会釈が更にない。この辺は両人実に酷似してると思う。かように毒づくのであるから時々世間の人達のご機嫌を損うこともあるが、毒づいた当人にとっては心持のいい事夥しい。腹中の毒気を吐き尽してしまうのであるから、身体上至極宜しいが、世人のためには至極宜しくないかも知れない。毒を吐かれて頭痛くらいはするであろう。がそれも宜かろう。先生も我輩も毒づくばかりを能としない。時々は世人に解毒剤も飲ましておったものだ。この意気とこの無遠慮とがあったから、先生は教育家として明治の社会に文明思想を注入することに成功し、我輩もまた別途の方面から同様の貢献をなし得たのである。要するに先生と我輩とは、その活動の方面こそ違え同一の趣向、相似たる境遇、近似せる主義を以て社会に立ったのである。

福沢先生没後の我輩

以上説き来ったところで福沢先生及び我輩が如何なる考えを以て世に処したかがほぼ分明であろうと思う。すでに先生は没くなられたが、思えば先生は行り方が行り方だけに頗る敵が多かった。