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しほんたいへいき
私本太平記
吉川 英治
03 みなかみ帖
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页
「急がぬと、いたる所で出水に阻れようぞ。早く行け」
正成の声も、とどいたかどうか。見送る顔さえ上げていられないほど痛い雨が、たちまち三名の影を遠くつつみ去ッた。
……じっと、果てしなく、その闇を見送っていた後。正成はほっと自分の息をした。
「正季。わしも帰るぞ」
「お送りしましょう。御門まで」
「いや、それにはおよばぬ」
「でも」
正季はしいて、兄の駒の後から、馬を並べて行ったが。
「や。兄上、道が違いはしませんか」
「どうせのことだ。長野あたりまで、妹の行った先途を見とどけ、その後に、水分へ帰ろうよ。さしたる廻り道ではない」
しかし、この黒風白雨である。先の三名は早や影すら見えない。
ただやがて、行く先々の野路や郷には、あらしの下を馳ける松明の火が頻りに見られた。おそらく、先頃からこの北河内に入りこんでいた六波羅放免の抜け目ない輩も、その怪訝りに、今は、全神経を徒労していたにちがいない。
ほどなく、水分の門前へ来た。
「正季。もうよい」
「まことに、ほっと安心いたしましたな」
「戻って、お汝もゆるりと、眠るがいい」
「では、兄上も」
「むむ、あすは存分、朝寝をしようよ。