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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

03 みなかみ帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页

青空文庫

「ほほほほ。それは、ゆかしいおたしなみでございますこと」

「からかっちゃいけないよ。元成さんは、何してるかい」

「もう昼間は、お仕事のほか、よそ見もしておりませぬ」

「そうかい。余り仕事に精を出して、体を悪くしてもいけないぜ。ちょっと、邪魔しに行こうかな」

「ええ、どうぞ」

「でもね、あんまり仲よくしてるので、そう思っては、ついいつも遠慮してしまうのさ」

「まア、そんなこと、仰っしゃらないで」

井戸は長屋の共同だ。

空地を斜めに、卯木は、手桶の水をさげて、急いで戻った。

「あなた、柳斎さまが、いますぐおいでなさいますって」

台所でする妻の声に、

「ほう、何で」

と、内では元成の声。

「今日は、おひまらしいんでございますよ。お茶でもお入れいたしましょう」

「めずらしいな。いつも退屈を知らないお人が」

夫婦は、そこらを片づけ始めた。といっても、棟割り長屋の狭い一軒、窓ぎわの一ト間が元成の仕事場だった。

隣近所は、すべて下職衆といっていい。

具足師柳斎の下請仕事をやる者だけが住んでいた。――附属物の彫金、染革、塗師、かざり師、糸縒などの諸職のなかで、元成は、下絵描きをやっていた。