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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

03 みなかみ帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页

青空文庫

「それは」

「ほかでもない。かの、みかどの乳父吉田ノ大納言定房卿が、宮中のおん企てを密告したものであると申す儀は、まことであろうか、虚伝であろうか」

「密牒のお筆は、まぎれなき定房卿の直筆なりと、聞いております」

「やはりそうか……」

これだけが、彼の瞋恚に炎となっていたものらしい。

廂ごしの夜空をにらんで、いかにも無念そうな面を澄ました。けれど何もことばには現わさなかった。そしてやがて。

「世のこと、すべてだが、わけても人と人との離合ほど、計り知られぬものはない。――みかどを初め、われらまでが、またなきお方と頼んでいた者には、かくの如く裏切られ、かえって鎌倉の御内たるおん身から、かかる情けにあずかろうとは」

「それも宿世の御縁でしょう。思うに、あなたは公卿にお生れあったのが御不運なので、われら同様、武門の子であったなら、怖らくは一方の驍将として、晴れやかな御一生を遂げえたやも知れません」

「いやいや、たとえ非業に死のうと、俊基が朝臣に生れたことは、いささかの悔いでもない。あす刑場にて首斬られるまでも、一念、鎌倉幕府の亡びを見んと、なおも念じつづけているであろうよ」