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しんのゆうしゅう

秦の憂愁

豊島 与志雄

「文芸」1944(昭和19)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,389 字 · 19 页

青空文庫

途中で幾度か、彼が頭や肩や手先の微細な身振りで、通りすがりの者に合図したらしいのを、星野は気付いた。そのうち、二人の青年がいつしか後に随っていた。秦は彼等に一言も口を利かなかった。

小さな回教料理店に落着いた時、星野は秦と相並びながら、張と他の二人の青年に取り囲まれた形になった。秦は彼等のことを、懇意者とだけで、何の紹介もしなかった。彼等は殆んど口を利かず、慎ましく控えていて、羊肉を盛んに煮た。酒はあまり飲まなかった。秦と星野は、羊肉よりも酒の方に気を入れた。

星野はもう可なり酔っていた。得体の知れない青年たちに取り巻かれ、真中に煙筒のつき立っている鍋を前にし、老酒の杯を重ねた。正面の欄間、血の滴るような羊肉を盛った皿が際限もなく現われてくる料理場口の上方には、阿拉伯父の経典が額縁にいれて掲げられており、そのアラビア文字は怪しい模様を描き出していた。

嘗て東京で酔ってた時のように、星野は秦を、もうシン君と呼ばずに、日本流にハタ君と呼んでいた。

「ねえハタ君、何よりも詩だ、そして詩と酒だよ。その門から、至高な精神に通ずる。」

秦はじっと阿拉伯父の経典に眼を挙げた。