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きくちよしょう

菊千代抄

山本 周五郎

「週刊朝日春季増刊」朝日新聞社、1950(昭和25)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,178 字 · 72 页

青空文庫

「――おそれながら、決してさような」

「では申せ、返辞を聞こう」

「――おそれながら、そればかりは……」

殆んど呟くような声であった。菊千代は全身の血が火になるような怒りを感じ、われ知らず膝が前へ出た。

「いえないというのは知っているからだな、半三郎、面をあげて菊千代を見よ、この眼を見るのだ、半三郎、面をあげぬか」

彼は静かに顔をあげた。菊千代はその眼を射止めるように見ながらいった。

「菊千代が女だということを、そのほう知っていたのだな」

「――はい」

「眼を伏せるな、そして、……それは初めから、知っていたことだな」

半三郎の眼が、然りと答えるのを認めて、菊千代は一瞬ふしぎな感覚に包まれた。それは絶望的な歓喜とでもいおうか、苦痛と快感とが複合した痺れるような感じのものであった。もし彼が知っていなかったとすれば生かしておいてもよい。生きていて欲しいという気持は充分にある、そのばあいはこちらから自分が女だったということをうちあけて、おそらくは泣いて彼にとり縋ったであろう。しかし彼は知っていた、それは菊千代にとっては凌辱に等しい。

――彼は自分にとって唯一人の者だ。