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なおこ

菜穂子

堀 辰雄

楡の家 第一部「物語の女」山本書店、1934(昭和9)年11月<br> 楡の家 第二部「文学界」1941(昭和16)年9月号<br> 菜穂子「中央公論」1941(昭和16)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 88,758 字 · 173 页

青空文庫

「急に悪くなられた方があって、いそいで居りますので……」そうその若い女の方で云い訣がましく云った。その若い女は隣県のK市の看護婦で、療養所の患者が喀血などして急に附添が入るようになると電話で呼ばれて来る事を話した。

圭介は突然胸さわぎがして、「女の患者ですか?」とだしぬけに訊いた。

「いいえ、こんど初めて喀血をなすったお若い男の方のようです。」相手は何んの事もなさそうに返事をした。

自動車は吹き降りの中を、街道に沿った穢い家々へ水溜りの水を何度もはねかえしながら、小さな村を通り過ぎ、それから或傾斜地に立った療養所の方へ攀じのぼり出した。急にエンジンの音を高めたり、車台を傾がせたりして、圭介をまだ何んとなく不安にさせた儘……

療養所に著くと、丁度患者達の安静時間中らしく、玄関先には誰の姿も見えないので、圭介は濡れた靴をぬぎ、一人でスリッパアを突っかけて、構わず廊下へ上がり、ここいらだったろうと思った病棟に折れて行ったが、漸っと間違えに気がついて引き返して来た。途中の、或病室の扉が半開きになっていた。通りすがりに、何の気なしに中を覗いて見ると、つい鼻先きの寝台の上に、若い男の、薄い顎髭を生やした、蝋のような顔が仰向いているのがちらりと見えた。