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くぎぬきとうきちとりものおぼえがき
釘抜藤吉捕物覚書
林 不忘
07 怪談抜地獄
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,998 字 · 32 页
痛み入りまするが、せめておところとお苗字だけは――。」
「よし、よし、が、礼に来るには及ばんぞ。」
と歩き出しながら、
「大須賀玄内と申す。寺島村河内屋敷の寮に食人の、天下晴れての浪々の身じゃ、はっはっは。」
あとの笑い声は、折柄の濃い戌の刻の暗黒に、潮鳴りのように消えて行った。と、それに代って底力のある謡曲の声の歩は一歩と薄れて行くのが、ぼんやり立っている伝二郎の耳へ、さながらあらたかに通って来るばかりだった。
家へ帰ったのちも、このことについては伝二郎は口を緘して語らなかった。ただ礼をしたいこころで一杯だった。ことに幾分でもあの高潔な武士の心事を疑ったのが、彼としては今さら良心に恥じられてしょうがなかった。
「何と言っても儂は士農工商の下積みじゃわい。ああ、あのお侍さんの心意気がありがたい――。」
何遍となく、口に出してこう言った後、二、三日した探梅日和に、牛の御前の長命寺へ代々の墓詣りにとだけ言い遺して、丁稚に菓子折を持たせたまま瓦町は書替御役所前の、天王様に近い養家清水屋の舗を彼はふらりと出たのであった。
「怪ったいな、伝二郎が、まあ急に菩提ごころを起いたもんや――。