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ゆき
雪
楠田 匡介
「探偵新聞」1948(昭和23)年5月5日号、5月15日号、5月25日号、6月5日号、6月15日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 24,792 字 · 50 页
今一人の樺太航路の第二恵須取丸の伊東憲助事務長は久三がまだ達者で、北海道の方へよく古書あさりに出かけたころからの知りあいで最近では久三は彼を自分の使用人のように遇していた。
一体に久三は、自尊心の強い、自我一点張の男で心臓病のくせに、激すると人の見境なく皮肉ったり、毒舌を浴びせかけたりする癖があった。目下の者や使用人には殊に呵責なくその態度は専制主の様だった。昨夜も伊東を彼は人々の前で罵っていた。
それに今一人の客――それは近所の高沢寺という寺の僧侶で、まだ三十を幾つも出ていない世襲の住職であった。
この三人に雇人で、書生とも助手ともつかない望月青年の四人が、晩飯のもてなしにあずかっていた。主人役の久三の外は、相当にゆける口なので、酒も潤沢に廻った。雑談から自慢話にさては唄の一つも、出ようとしていた十時半ごろ何かのきっかけから久三はふと五十嵐にこんなことをいい出した。
「ねえ新造さん、あの極楽縁起の巻物だけはいけないよ。値にもならないしね」
それは久三の横に座っている五十嵐にしか聴き取れない程の小声だった。
伊東は大きな声で和尚さんと、望月の手拍子で俗謠を唄っていた。