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ゆき

雪

楠田 匡介

「探偵新聞」1948(昭和23)年5月5日号、5月15日号、5月25日号、6月5日号、6月15日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 24,792 字 · 50 页

青空文庫

久三は別に格闘のあともなく、帽子をかぶったまま丁度居眠りでもしている様な格好で座っているが、その頭から頬、首にかけて、黒い血がこびりついていた。余程ひどく撲られたとみえて、鉄製の巌丈なデレッキが幽かに曲りをみせて、その足元にころがっていた。

机の上には革で作った手文庫と一二冊の和本が置かれてあった。書きかけの大きなフールスカップの一枚と鉛筆と万年筆がその側にころがっている。

人々は茫然として立ちすくんでいたが、やがて事の重大さに気付き、まず警察に電話をかけに走った。

書庫から茶の間に帰った人々の顔は紙のように白かった。そして誰も彼も落ち付けなかった。

昨夜、早川家には、三人の客があった。

その一人五十嵐新造は、東京から早川の蔵書を買いにきていた。彼は久三老人とは、少年時代、久三がまだ東京の古本屋に、小僧をしていた時の同僚で、その後久三は、占領直後の樺太に渡り産をなし、新造は新造で神田の古書舗として一家をなしていた。今度、久三がその膨大な蔵書の大部分を整理することになり、ふるいなじみの五十嵐を樺太に呼んだのだったが、久三は例の持前の癇癪癖から、一寸した事で昨夜は激しい口調で謠をしたりした五十嵐をしかり飛ばしたりした。