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ふうちそう

風知草

宮本 百合子

「文芸春秋」1946(昭和21)年9~11月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,107 字 · 88 页

青空文庫

二階の壁の上塗りははげ落ち、きずだらけで随分きたなかった。妙な建てかたで、数の少い外窓の内側が窮屈な廊下になっていて、その中に広間があった。階段口の右手に、狭い小室が一つある。

ひろ子は、荒れてきたない廊下のところに立って、重吉はどこにいるかしら、と思った。建物じゅうにまだ人はごく少ししかいないらしかった。永い間人気なく、しめこまれていた埃と湿気のにおう広間の一隅で、その日の午後から開かれる解放運動犠牲者追悼会のために、演壇に下げる下げビラを書いている人たちが四五人働いているかぎりだった。重吉はそこには見当らなかった。すると、階下から二人づれの若い男が、足音を揃えるように登って来て、ひろ子を一寸見て、わきを通りぬけ、右手つき当りのドアの中へ入った。そこには人がいるらしい。しかし、ひろ子は、どうしても、ずけずけ入って行って、内部を知らない室のドアをあける気がしなかった。

ひろ子が小さかったとき、建築家であった父が、八重洲町の古い煉瓦のビルディングの中に事務所をもっていた。その事務所を、ひろ子はどんなに尊敬し、憧れ、好奇心を動かされたろう。ジリンと入口のベルを手前にひっぱって鳴らすと、爺さんの小使いが出て来た。