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かぜたちぬ
風立ちぬ
堀 辰雄
序曲、風立ちぬ「改造」1936(昭和11)年12月号、冬「文藝春秋」1937(昭和12)年1月号、春「新女苑」1937(昭和12)年4月号、死のかげの谷「新潮」1938(昭和13)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 54,998 字 · 108 页
……「節子よ、これまで二人のものがこんな風に愛し合ったことがあろうとは思えない。いままでお前というものは居なかったのだもの。それから私というものも……」
私の夢想は、私達の上に起ったさまざまな事物の上を、或る時は迅速に過ぎ、或る時はじっと一ところに停滞し、いつまでもいつまでも躊躇っているように見えた。私は節子から遠くに離れてはいたが、その間絶えず彼女に話しかけ、そして彼女の答えるのを聞いた。そういう私達についての物語は、生そのもののように、果てしがないように思われた。そうしてその物語はいつのまにかそれ自身の力でもって生きはじめ、私に構わず勝手に展開し出しながら、ともすれば一ところに停滞しがちな私を其処に取り残したまま、その物語自身があたかもそういう結果を欲しでもするかのように、病める女主人公の物悲しい死を作為しだしていた。――身の終りを予覚しながら、その衰えかかっている力を尽して、つとめて快活に、つとめて気高く生きようとしていた娘、――恋人の腕に抱かれながら、ただその残される者の悲しみを悲しみながら、自分はさも幸福そうに死んで行った娘、――そんな娘の影像が空に描いたようにはっきりと浮んでくる。