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こくしかんさつじんじけん
黒死館殺人事件
小栗 虫太郎
「新青年」博文館、1934(昭和9)年4月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 296,741 字 · 584 页
何故君は、伸子が覚醒した瞬間に、自分の名前を書かせたのだったね」と云って、乙骨医師が取り出した紙片に、俄然三人の視聴が集められてしまった。それには、紙谷ではなく、降矢木伸子と書かれてあったからだ。法水はちょっと瞬いたのみで、彼が投じた波紋を解説した。
「いかにも乙骨君、僕は伸子の自署が欲しかったのだ。と云って、なにも僕はロムブローゾじゃないのだからね。水精や風精を知ろうとして、クレビエの『筆蹟学』までも剽竊する必要はないのだよ。実を云うと、往々失神によって、記憶の喪失を来す場合がある。それなので、もし伸子が犯人でない場合に、このまま忘却のうちに葬られてしまうものがありゃしないかと、実は内々でそれを懼れていたからなんだよ。ところで、僕の試みは、『マリア・ブルネルの記憶』に由来しているんだ」
(註)ハンス・グロスの「予審判事要覧」の中に、潜在意識に関する一例が挙げられている。すなわち一八九三年三月、低バイエルン、ディートキルヘンの教師ブルネルの宅において、二児が殺害され、夫人と下女は重傷を負い、主人ブルネルが嫌疑者として引致されたという事件である。ところが、夫人は覚醒して、訊問調書に署名を求められると、マリア・ブルネルとは記さずに、マリア・グッテンベルガーと書いたのであった。