轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
おごそかなかわき
おごそかな渇き
山本 周五郎
「朝日新聞日曜版」 1967(昭和42)年1月8日~2月26日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,042 字 · 71 页
どんなよろこびも、どんな悲しみの訴えも、すぐ隣りの木にさえわからないだろう、それが何十年も何百年も続くのだ」
人間は友達や先輩や先生に、訴えたり、唄を聞いてもらったりすることができる。しかしやはり、本当に理解してもらうことができるかどうかは疑問だ。どんなに親しいあいだがらでも、心の底まで理解しあうことはできないだろう。その点では、風にそよぐあの芒や、枯れ木林の木々たちとさして変りはない。「だが人間には本質的に違うところがある」、と彼は呟いた、「――松山家の死んでいった船子たち、祖父や父に海で死なれながら、やはり松山家の船子になり、海で死んだ人たちや、その遺族たちの悲しみや嘆きは、人間だけのものだ、愛も憎しみも、人を信頼することも不信も、これらすべてをひっくるめたものが人間なんだ、不義不正を犯す者も、それをあばき、憎むのも、人間だからできることだ」
松山隆二は母のことを考えた。腹腔中の汎発性癌で死んだ母は、苦痛も訴えず、呻き声さえもらさなかった。
――この病気は苦しいものです、と病院の医師は云った。いつか禅宗の坊さんを扱ったことがあります、五十歳くらいですかな、自分は悟りをひらいているから、病苦や生死に関心はない、そういばっていましたがね、病状が悪化してくると苦しがって、医者を罵り医学を罵り、しまいには助け