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おせいとうじょう
お勢登場
江戸川 乱歩
「大衆文藝」1926(大正15)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,784 字 · 24 页
五
だが、その束の間の歓喜から、彼は更に、絶望などという言葉では云い尽せぬ程の、無限地獄へつきおとされて了ったのである。若し救いの手が来ないで、あのまま死んで了ったとしても、その苦痛は決してこの世のものではなかったのに、更に更に、幾層倍、幾十層倍の、云うばかりなき大苦悶は、姦婦の手によって彼の上に加えられたのである。
おせいは、それ程の苦悶を想像しよう筈はなかったけれど、彼女の考え得た範囲丈でも、夫の悶死を憐み、彼女の残虐を悔いない訳には行かなかった。でも、悪女の運命的な不倫の心持は、悪女自身にもどうしようもなかった。彼女は、いつのまにか静まり返って了った押入れの前に立って、犠牲者の死を弔う代りに、懐しい恋人のおもかげを描いているのだった。一生遊んで暮せる以上の夫の遺産、恋人との誰はばからぬ楽しい生活、それを想像する丈で、死者に対するさばかりの憐みの情を忘れるのには十分なのだ。
彼女は、かくて取返した、常人には想像することも出来ぬ平静を以て、次の間に退くと、脣の隅に、冷い苦笑をさえ浮べて、さて、帯を解きはじめるのであった。
五
その夜八時頃になると、おせいによって巧みにも仕組まれた、死体発覚の場面が演じられ、北村家は上を下への大騒ぎとなった。