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かやのおいたち
かやの生立
岡本 かの子
「解放」1919(大正8)年12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,632 字 · 25 页
「お久しいね、甚三さん」
と云って、今度はかやの方に向直って、
「おかやちゃん、これ(と云って若者を指さして)が松戸村(南の村落の名)の笛吹きの甚三さんですよ」
とかやの、下げ髪の上に優しく手を置き乍ら、前屈みに顔をのぞき込んだ。
「おや、おかやちゃん、あんた、甚三さんに、見惚れて居なはるな、甚三さん、おかやちゃんがな、このお嬢ちゃまがな、お前さんの笛の音が、大好きでな、毎晩々々、それはそれは、熱心に聞きとて居なはることよ、な」
婆やの、このおしゃべりが終った時、甚三はまた、誰にということも無く例の笑いを、にっと現わした。
その瞬間、強く鋭く甚三の凡ての印象が、稚いかやの胸へ、ぐっっと突き入ってしまったのである。かやは矢庭に、母屋の方へ、一目散に駈け出した。しばらくあっけにとられて居た婆やが、あたふた追い掛けて見ると、かやは、すこし色の褪せた緋縮緬の帯を小さく貝の口結びにした後姿を見せて、書院の縁へ顔を、うつぶせにして居た。
「かやちゃま、おかやちゃん、どうした、どうしなはったよ」
斯う云い乍ら、気忙しく婆やがかやを抱き起すと、かやのそむけたままの横顔は真赤に染まって、縁板には三四滴の涙の痕がついて居るのであった。