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このこをのこして

この子を残して

永井 隆

「この子を殘して」大日本雄辯会講談社、1948(昭和23)年

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 102,102 字 · 203 页

青空文庫

彼に今甘い杯が与えられたのは、今の彼には甘い杯が幸福のために必要だから神がわざわざ与えたのである。神は自分の手で創造した一人一人の人間をつねに真の幸福の状態に保っておこうと思って、その時その場に応じたカクテルを処方なさるのである。薬を調合なさるのである。――私は医者だから処方の苦心をよく知っている。腹の痛む病人には苦いゲンチアナ根末を与える。病人の胃を癒すためには苦い薬を盛らねばならぬ。胃が悪いけれども苦い薬はかわいそうだから、甘いおしるこをうんと食べさせてやろう、とは医者は考えない。風邪を引いてせきが出る、たんが出るという患者には甘いゼネガシロップを与え、せきどめボンボンをなめさす。これはこの患者には今甘いものが必要なのだ。もしこの患者に、良薬は口に苦し、とかなんとか言って、せんぶりを飲ませたらどうなるだろう? 病人にとっては苦い薬も甘い薬もひとしく、その時その身体にふさわしい、病気をなおすための処方によるのである。病人は薬が甘いからとて喜び、医者に感謝し、薬が苦いからとて悲しんで、医者を恨むであろうか? ――神は全知全能だから、処方に苦心惨憺ということもあるまいが、すらすらと処方をお決めになっても、全き愛にましますから、処方の間違いは絶対にない。