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ちくしょうだに
ちくしょう谷
山本 周五郎
「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页
ぼんやりと、遠くで人の話すのを聞きながら、隼人はながいあいだうとうとしていた。子供のころ眠っていて、隣り座敷で父と客とが話してい、夢うつつにその話し声を聞いている、というような感じがした。
「こっちから二番めです」と一人の声が云っていた、「あのかけはしは架け直さなければいけません、支えの木が腐っていますよ」
「あたまのごんぜよ」と暫くして女の声が云った、ちょっとしゃがれぎみの、穏やかなまるい声であった、「鹿ですよ、めすとおすと二頭ですって」
ほかにもわけのわからない会話を幾たびか聞いた。そうしてやがて、割れるような頭の痛みで隼人は眼をさました。うす暗い行燈の光りで、低い天床が見え、すぐ近くで焚木のはぜる音が聞えた。
「気がつかれたようだ」と云う声がした。
すると岡村七郎兵衛の顔が、上から隼人を覗きこんだ。岡村は微笑した。
「どうですか」と岡村が云った、「まだ痛みますか」
隼人は唇を舐めた。躯じゅうが冰るように寒く、喉が耐えがたいほど渇いていた。
「ここはどこだ」と隼人が訊いた。
「正内老人の住居です」
隼人はその名を口の中で呟き、そして初めて、あった事を思いだしたように頷いたが、そんな僅かな動作さえ、頭の中にするどい痛みが起こり、彼は眉をしかめた。