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ものおもうあし

もの思う葦

太宰 治

――当りまえのことを当りまえに語る。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,430 字 · 42 页

青空文庫

無智。これゆえにたまらない。つぎに私は、四谷怪談の伊右衛門に同情を持つ者であるということを言わなければならない。まったく、女房の髪が抜け、顔いちめん腫れあがって膿が流れ、おまけにちんば、それで朝から晩までめそめそ泣きつかれていた日には、伊右衛門でなくても、蚊帳を質にいれて遊びに出かけたくなるだろうと思う。つぎに私は、友情と金銭の相互関係について、つぎに私は師弟の挨拶について、つぎに私は兵隊について、いくらでも言えるのであるが、いますぐ牢へいれられるのはやはりいやであるからこの辺で止す。つまり私には良心がないということを言いたいのである。はじめからそんなものはなかった。鞭影への恐怖、言いかえれば世の中から爪弾きされはせぬかという懸念、牢屋への憎悪、そんなものを人は良心の呵責と呼んで落ちついているようである。自己保存の本能なら、馬車馬にも番犬にもある。けれども、こんな日常倫理のうえの判り切った出鱈目を、知らぬ顔して踏襲して行くのが、また世の中のなつかしいところ、血気にはやってばかな真似をするなよ、と同宿のサラリイマンが私をいさめた。いや、と私は気を取り直して心のなかで呟く。