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バルザックについてのノート
バルザックについてのノート
宮本 百合子
「歌声よ、おこれ」解放社、1947(昭和22)年8月発行
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,421 字 · 9 页
という王政復古時代の現実をなまなましく反映したバルザックの人物たちは、その旺盛な爪牙をといでつかみかかる対象を常に必要としたし、その関係が、バルザック流の情熱で純粋を保つためには――純粋にぺてんにかけ、純粋にぺてんにかかるためには――この世の狡猾の英雄に対してこの世ならぬ無邪気な魂を必要とした。それゆえバルザックの浄らかさは誇張されざるを得なかった。リアリストとしてのバルザックの偉大さと、その偉大なリアリストが無自覚のうちにわが身を一つの檻にとじこめていた微妙なモメントは、この点から今日の読者にときあかされる。
そして、我々は沁々と考える。時代というものは何と大したものであるか、と。巨大なバルザックの精神は、利害の出発点として金と権力と名誉としか見なくて(「幻滅」において、バルザックはセ・アルテの高邁さやそのグループの人々の団結を友情のまじりけなさとしてしか把握しなかった)、階級の歴史的な対立の中に高貴な精神もこの世に存在するということは知らなかった。しかし彼の百分の一の天賦しかない一個の青年も、今日の歴史の中に生きているという事実によって、例えばエールリッヒが、ジフテリア血清の最初の注射のために闘った対立に高貴なものを感じとり、自分のうちなるささやかな善意に鼓舞をうけとるのである。