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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
在线阅读風巻 景次郎《中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)》,假名注音日语阅读。JLPT N2,点词查义。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 115,977 字 · 230 页
十一
異腹の兄は清家、後光家といって、事あって廃嫡され、五位侍従に終って髪を剃った。為家は承元三年十二歳で侍従、翌四年十三で左少将、建保五年二十歳で従四位上左権中将であった。承久乱の年為家は二十四歳であるが、そのときまでは順徳天皇の近習として、『禁秘御抄』にも名を記されており、なかなか実務的でよく働いたらしく、また蹴鞠には天分があって、後鳥羽院がその方へしばしば御召しになった。定家は五十頃になって、歌に対する考えが変り、『近代秀歌』以後にあらわれたような立場をはっきり持つ頃になると、為家の歌学に対する不熱心を気にしはじめて、相当やかましく責めるようになったらしい。為家は後鳥羽院や順徳天皇にお仕えする方と、父の庭訓との板挟みになって、相当苦しまされたのでないかと思う。貞応二年二十六のとき、出家しようかと思いつめて慈円になだめられ、日吉に参籠して一七日の間に千首歌を詠んだ。これが『為家千首』といって、今も『群書類従』に入れられて伝わっている。この出来がよかったので、定家も安堵したらしいのである。その後は、定家の世を去る仁治二年(四十四歳)までに、正二位権大納言に昇ったことは、既に前に述べた通りである。