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たんげさぜん

丹下左膳

林 不忘

01 乾雲坤竜の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 340,187 字 · 666 页

青空文庫

こう言って弥生が往手をふさぐと、蜘蛛はすこしためらったのち、すぐ右へ抜けようとする。弥生が右へ手をやる。蜘蛛は左に出ようとあせる。弥生の手が先をおさえる。思案にくれた蜘蛛は、弥生の手にかこまれて神妙にすくんだ。

「ほほほほ、そう! ね、じっとしておいで、じっと!」

と弥生がさびしく笑ったとき、玄関に駕籠がおりたらしく出迎えの声がざわめいて、まもなく、女中のささげる雪洞が前の廊下を過ぎるとつづいて土屋多門が、用人をしたがえて通りかかった。

やみに手を突いて頭をさげた弥生の眼にうつったのは、板廊を踏んでゆく白足袋と袴の裾だけだったが、わざと弥生に聞かせる気の多門の大声が、しきりにうしろの用人を振り返っていた。

「世にずいぶんと男は多い。しかるに、一人に心をとられて、他が見えぬとは狭いぞ! もしまたそのひとりが水茶屋ぐるいでもしおったらいかがいたす? な、そうであろう。はははは」

「御意にございます」用人は何がなにやらわからずに答えている。

はっとして突っ立った弥生は、じぶんの踵の下で、いまの蜘蛛がぶつッ! と音がしてつぶれたのを知らなかった。

「大作」

と次の間へ声をかけながら、大岡越前は、きょう南町奉行所から持ち帰った書類を、雑と書いた桐の木箱へ押しこんで、煙管を通すつもりであろう。