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ふたつのみち

二つの途

豊島 与志雄

「新小説」1920(大正9)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 51,102 字 · 104 页

青空文庫

高子は、渡された淡褐色の注射液を眺めて眉を顰めた。

彼女は本田氏を玄関まで送っていって、一寸躊躇した後に云った。

「神経が大層興奮しているようですが、脳症を起すようなことはありませんでしょうか。」

「そうですね。」と彼は一寸考えた。「……なに起しても大したことはないでしょう。」

そして実際、高子の言も本田の言も、共に的中した。軽微な間歇的なものではあったが、明かに脳症の性質を具えていた。

病室に人が居ないと、啓介はよく上半身を起そうとした。じっと空間に据った眼付に凄い光りを帯びて瞳孔が開いていた。両腕には異常な力がはいっていた。容易に信子や高子の思うままにならなかった。然し木下の言葉には素直に従った。床の上に構わると、顔面の筋肉を硬直さしながら、手指を痙攣的に震わした。彼は木下をすぐ側に呼んで云った。

「僕をこの室に一人置きざりにしてはいけないよ。」

「そんなことをするもんか。」と木下は答えた。

「然し信用出来ないからね。」

その言葉は真実だか皮肉だか分らない調子のものだったが、一種悲痛な力が中に籠っていた。

その頃から彼は、高子に対してひどく無関心な態度を取るようになった。