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いりえのほとり

入江のほとり

正宗 白鳥

「太陽」1915(大正4)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 25,430 字 · 50 页

青空文庫

「晩まで勝にこのテーブルを貸しておくれな。腰を掛けて勉強したら、お腹がよう減って気持がようなるかもしれんから」

「………」辰男は自分の机や椅子を他人に――たとい妹であっても――使われるのが厭であったが、他人に向って――たとい妹であっても――否と断言することはできなかった。むろん快い承諾を与える気にもなれないのだが……

「使うてもよかろう! 本はちゃんとこのままにしておくがな」

「フーン」と辰男は微かな返事をした。カラアもネクタイもつけない洋服の上に短いトンビを着て、弁当を提げて裏口から家を出て、狭い車道を通って学校へ向った。

子供たちも揃って出て行くと、広々とした家の中は大風の跡のように静かになった。母や兄嫁は立ったり坐ったり、何となしに家事に忙しかったが、勝代はざっと二階の掃除をして、時間はずれの朝餐を一人で食べると、下女に吩咐けて、二階の炬燵に火を入れさせて閉籠った。良吉の帰っている間入学試験の準備を怠っていたので、もはや小説など読耽ってはいられなかった。上京までの日数を数えると心が惶だしかった。……もしも落第をしようものなら、一年前に入学している朋輩に対しても家の者や村の者に対しても、おめおめ顔は合わされない。