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めいじんじごく

名人地獄

国枝 史郎

「サンデー毎日」1925(大正14)年7月5日~10月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,286 字 · 301 页

青空文庫

金を盗もうと盗むまいと、それとておれには風馬牛だ。ところで少納言の鼓だが、たとえ名器であるにしても、一旦賊の手に渡ったからは、いわば不浄を経て来たものだ。伝家の宝とすることは出来ぬ。なあ千三屋、そんなものではないか」

「へい、そんなものでございましょうな」

「と云ってお前へ譲ることは出来ぬ」

「え、どうでもいけませんかな」

「ただしおれには不用の品だ。捨てるによって拾うがよい」

鼓をひょいと地へ置くと、ギーと潜り戸を押し開き、銀之丞は入って行った。

もう夜は明けに近かった。その明け近い江戸の夜の、静かな夜気を驚かせて、またも鼓が鳴り出したのは、それから間もなくのことであった。ポンポンポンポンと江戸市中を、町から町へと伝わって行った。

弟を呼ぶ兄の声

追分油屋掛け行燈に

浮気ご免と書いちゃない

清涼とした追分節が、へさきの方から聞こえて来た。

ここは外海の九十九里ヶ浜で、おりから秋の日暮れ時、天末を染めた夕筒が、浪平かな海に映り、物寂しい景色であったが、一隻の帆船が銚子港へ向かって、駸々として駛っていた。

その帆船のへさきにたたずみ、遙かに海上を眺めながら、追分を唄っている水夫があった。