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めいじんじごく
名人地獄
国枝 史郎
「サンデー毎日」1925(大正14)年7月5日~10月25日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,286 字 · 301 页
そういえば波の音がした。
彼はズンズンあるいて行った。間もなく別荘の前へ出た。
廻れば五町はたっぷりあろうか、そういう広大な地所の中に、別荘は寂然と立っていた。三間巾の海水堀、高い厚い巌畳な土塀、土塀の内側の茂った喬木、昼間見てさえなかの様子は、見る事が出来ないといわれていた。
夜はかなり更けていた。堀の水は鉛色に煙り、そとへ突き出した木々の枝葉で、土塀のあちこちには蔭影がつき、風が吹くたびにそれが揺れた。前と左右は物寂しい荒野で、そうして背後は岩畳を隔てて、海に続いているらしい。
人っ子一人通っていない。市の燈火は見えていたが、ここからは遙かに隔たっていた。別荘には一点の火光もなく、人のけはいさえしなかった。
それは別荘というよりも、荒野の中の一つ家であり、わすれ去られた古砦であり、人の住居というよりも、死の古館といった方が、ふさわしいように思われた。すでに刎ね橋はひき上げられていた。
「何という寂しい構えだろう」
呟きながら銀之丞は、堀に沿って右手へ廻った。すると意外にも眼の前に、刎ね橋が一筋かかっていた。そこは別荘の側面で、土塀には小門が作られてあったが、それへ通ずる刎ね橋であった。