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うもれたにほん
埋もれた日本
和辻 哲郎
――キリシタン渡来文化前後における日本の思想的情況――
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,399 字 · 43 页
これは本多佐渡守の著と言われながら、早くより疑問視せられているものである。新井白石は本多家から頼まれてその考証を書いているが、結論はどうも言葉を濁しているように思われる。しかしそれがいずれであっても、同一書を媒介として惺窩、蕃山、本多佐渡守の三人の名が結びついているという事実は、非常に興味深いものである。
本多佐渡守は三河の徳川家の譜代の臣であるが、家康若年のころの野呂一揆に味方し、一揆が鎮圧したとき、徳川家を逐電して、一向一揆の本場の加賀へ行ってしまった。そうしてそこで十八年働いた後に、四十五歳の時、本能寺の変に際して家康のもとに帰参したのである。その閲歴から見て狂熱的な一向宗信者であったと推測せられるが、しかしキリシタンの宣教師の報告によると、家康の重臣中では彼が最もキリシタンに同情を持っていたという。慶長六年(一六〇一)には彼はオルガンチノに対してキリシタンをほめ、その解禁のために尽力した。同十二年にも、パエスのために斡旋している。宣教師に対して、禁教緩和の望みがあるような印象を与えたのは、彼とその子息の上野守なのである。一向宗の狂信が依然として続いていたとすれば、おそらくこういう態度を取ることはできなかったであろう。