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しおばな
塩花
豊島 与志雄
「世界」1946(昭和21)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,421 字 · 25 页
そうしながら彼は子供に話しかけて、彼の母親はもと波多野邸にいた人であること、彼等一家は空襲に罹災して焼け跡にバラック生活をしてること、周囲に菜園を拵えてること、などを知った。
千枝子が戻って来た。美しい青磁の鉢を持っていた。その鉢に彼女は、灰まみれの焼芋を盛りこんだ。芋は鉢にはいりきれなかった。
子供がすぐ駈けだしていった。
山口はそこに屈みこんだまま、灰のなかを掻き廻しながら、言いだした。
「あなたに、ゆっくりお逢いしたいと思っていました。」
千枝子はちらと眼を挙げて、また眼を伏せた。
「いろいろなことを、お話しして……。」
そこで、彼は閊えた。心の思いと言葉とが一致しなかった。ばかりでなく、突然、新たな想念がはいりこんできた。彼はこれまで、彼女を恋してると自分できめていた。恋している、それだけで充分だった。ところが、いま突然、結婚という想念が浮んできたのである。不思議なことに、三十五歳の現在まで、彼は幾度か縁談にも接したし、結婚を考えさせられる女性との交際もあったが、此度ばかりは、結婚などということを全然頭に浮べなかった。そういう想念を拒む何かが、彼女のうちにあったのであろうか、彼のうちにあったのであろうか、それとも終戦後の社会情勢のうちにあったのであろうか。