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なつのはな

夏の花・心願の国

原 民喜

原民喜『夏の花・心願の国』。同一底本的分册已合并为一书。收入:夏の花、苦しく美しき夏、秋日記、冬日記、美しき死の岸に、死のなかの風景、火の唇、壊滅の序曲、廃墟から、鎮魂歌、永遠のみどり。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 152,816 字 · 310 页

青空文庫

……この頃、順一は身も心も独楽のようによく廻転した。高子を疎開させたものの、町会では防空要員の疎開を拒み、移動証明を出さなかった。随って、順一は食糧も、高子のところへ運ばねばならなかった。五日市町までの定期乗車券も手に入れたし、米はこと欠かないだけ、絶えず流れ込んで来る。……風呂掃除が済む頃、順一にはもう明日の荷造のプランが出来ている。そこで、手足を拭い、下駄をつっかけ、土蔵を覘いてみるのであったが、入口のすぐ側に乱雑に積み重ねてある康子の荷物――何か取出して、そのまま蓋の開いている箱や、蓋から喰みだしている衣類……が、いつものことながら目につく。暫く順一はそれを冷然と見詰めていたが、ふと、ここへはもっと水桶を備えつけておいた方がいいな、と、ひとり頷くのであった。

三十も半ばすぎの康子は、もう女学生の頃の明るい頭には還れなかったし、澄んだ魂というものは何時のまにか見喪われていた。が、そのかわり何か今では不貞不貞しいものが身に備わっていた。病弱な夫と死別し、幼児を抱えて、順一の近所へ移り棲むようになった頃から、世間は複雑になったし、その間、一年あまり洋裁修業の旅にも出たりしたが、生活難の底で、姑や隣組や嫂や兄たちに小衝かれてゆくうちに、多少ものの裏表もわかって来た。