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なつのはな

夏の花・心願の国

原 民喜

原民喜『夏の花・心願の国』。同一底本的分册已合并为一书。收入:夏の花、苦しく美しき夏、秋日記、冬日記、美しき死の岸に、死のなかの風景、火の唇、壊滅の序曲、廃墟から、鎮魂歌、永遠のみどり。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 152,816 字 · 310 页

青空文庫

ある時は猛然と立って、敵を防ごうとしたが、空白の中に行詰ってゆく心理は、死守しようとするものを自ら弱めて行っているのでもあった。(だが、彼の力の絶したところに、やはり死守すべきものがあることだけは疑えなかった)生計の不安や激変の世の姿が今怒濤となって身辺にあれ狂っていた。絶えず忌避していた世間へ、一歩踏込んで行かねばならなかった。「中学生を相手にするのは何だか怕しいようです」そう云う彼を先輩は憐むように眺め、「そんなことはありません、余程あなたは世間を怖れているのですね、なあに、やってみるまでのことです」と励ましてくれるのであった。その人の家を辞して帰ってくる途中、家の近くの小駅のほとりで、中年の男が着流しで寒々と歩いている佗しい後姿を認めた。近所の男であった。ひどい酒癖がはじまると、隣近所に配給酒を乞うて歩くが、今も巷へ出て乏しい酒を漁って帰るところらしかった。寒々とした夕空がかすかに明るかった。

……それから間もなく、あの恐しい朝(十二月八日)がやって来たのだった。気を滅入らす氷雨が朝から音もなく降りつづいていて、開け放たれた窓の外まで、まるで夕暮のように惨澹としていたが、ふと近所のラジオのただならぬ調子が彼の耳朶にピンと来た。