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なつくさせんき

夏草戦記

山本 周五郎

「講談雑誌」博文館、1943(昭和18)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,107 字 · 41 页

青空文庫

「その註を忘れてはいけないぞ」新九郎はふたたび指を密書の上へ置いた、「この常葉口には相馬軍の伏兵がいる、此処からさきの陣泊りは、この図面に印してある場所を避けるんだ、わかったな、それから……これは預けて置くから、おれの始末が済んだらお旗がしらにさしだしてくれ、そのまえにはいけない、かたく約束したぞ」

源七は答えなかった、わたされた紙片をふところへおさめながら、堪りかねたようにくくと噎びあげた。新九郎はちょっと眼を閉じ、遠くのもの音を聞きすましでもするように、しばらく息をひそめていたが、間もなく低い呟くようなこえで話しだした。

「その繩を解いてやれという信長公の命をきいて、警護の士がそばへあゆみ寄り、多田新蔵のいましめを解き放した。……そのときだった、新蔵はがばとはね起きると、かたわらに有りあう槍をとり、ずぶずぶと四五人、まわりにいた織田家の士を眼にもとまらず突き伏せた。すさまじい早技だった、織田家の人々はあっといって瞬時そこへ立ち竦んだ、それからはじめて抜き合せ、……四方からとり詰めて、ようやく新蔵を討ち止めたという」

そこまで云いかけたとき、新九郎の閉じた目蓋を縫ってふっと涙が溢れ出た。