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なつくさせんき
夏草戦記
山本 周五郎
「講談雑誌」博文館、1943(昭和18)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,107 字 · 41 页
八
「老人から聞いた話はそれだけだ、おれはこの話を思いだすたびに泣ける、これをよく味わってくれ源七、ただあたりまえに聞きながしてはいけない、ここにもののふの精髄があるんだ、おのれの名も命もない、どんな窮地に立ってもさいごまで闘いぬく、この心をよく味わってくれ、……それにくらべれば、おれの死などはめぐまれているよ」
夏の夜は明けるにはやく、いつか障子が仄かに白みだしていた、新九郎はそっと涙をぬぐい、手を伸ばして行燈の火を消した、それからしずかに立ちあがって障子をあけた。……すぐ前にある樫木もおぼろに、崖のかなたはいちめんの濃霧だった、それであけた障子の間から煙のようにその霧が巻きこんで来た。
「来てみろ源七、おまえの好きなすばらしい霧だぞ」
八
ふしぎな一夜だった。
隊士のなかでも精兵とみられた若者が掟にそむいて死罪におこなわれたし、副将のひとり相良官兵衛がゆくえ知れずになった。どこへいったかもわからないし、夜が明けても戻って来なかった、手わけをして付近を捜したけれども、まるで消えてしまったように踪跡がない、さきを急ぐ小谷隊はそれ以上そこに留まってはいられないので、時刻よりは少しおくれたが、北へ向って進発した。