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ゆうもやのなか
夕靄の中
山本 周五郎
「キング」大日本雄辯會講談社、1952(昭和27)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,522 字 · 19 页
それだけは諦めがつきませんでした、どう考えてもそのことだけが……」
彼女はまた激しく泣いた。そして、嗚咽によろめく声で、自分自身を納得させるかのように、続けた。
「でも今はもう、幾らか諦めがつきます、貴方に此処でお眼にかかって、あのこにも貴方のような方があった、……たとえ夫婦にはなれなかったにしても、貴方という方がいて下すったと思うと、……嬉しくって、嬉しくって」
「もうやめて下さい、どうかもう」彼は呟くように云った、「あの人が、恥ずかしいでしょうから、おいねさんが、あの人はいつも、恥ずかしがりやでしたからね」
「ああそうでございます、あのこはいつもそうでございました」老女は涙を拭いた、「――小さいときからそんなふうで、たまにいい玩具でも貰ったりしますと、恥ずかしがって友達にも見せられない、よその子ならみせびらかすところを、あのこは却って隠すという性分でございました、そうでございます、……貴方という方のいることも、あのこにはやっぱり恥ずかしくて、わたしに話すことができなかったのでございましょう」
彼はふと、おいねという娘の姿を想像した。越後屋といえば江戸いちばんの呉服屋で、番頭手代だけで何十人といる筈だ。