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ゆうもやのなか
夕靄の中
山本 周五郎
「キング」大日本雄辯會講談社、1952(昭和27)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,522 字 · 19 页
「あの失礼でございますが」脇から老女がおそるおそる云った、「貴方は町方の親分さまでございますか、もしもそうなら、これはとんでもないお間違いでございます」
男は悠くりと振返った。老女は微笑して、気の毒そうに頷きながら云った。
「こちらは駿河町の越後屋のお手代で、繁二郎と仰しゃる方です、わたくしは山崎町の藤兵衛店にいる、おかねという者ですが、この方は、死んだわたくしの娘の墓まいりに来て下すったところなんです」
「するとおまえさんは、この男を知っているのかえ」
「存じておりますとも、よけいなことを申上げるようですが、この方と死んだ娘のおいねとは夫婦約束ができていたのですから」
「だが、墓まいりに短刀はおかしかあないか」
「それは」と老女が口ごもった、「――この方のようすでお察し申すのですけれど、おいねに死なれて、思いつめたあまり、……」
その男は彼のほうを見た。彼は眼を伏せたまま、そっと頷いた。男はそれを細い眼で眺めながら、穏やかな口ぶりで云った。
「この人の云うことに相違ないか、おまえ本当に堅気の、越後屋の手代か」
彼はまた頷いた。
「そうか、おれの眼ちがいか」
その男は初めて、掴んでいた腕を放した。