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よあけまえ

夜明け前

島崎 藤村

04 第二部下

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 105,172 字 · 206 页

青空文庫

長いこと彼はひとりですわっていて、あたりの町のすべてが湿った空気に包まれて行くのをながめながら、自分で自分のしたことを考えた。

「いくら人の欠点を知ったところで、そんなことが何になろう。」

と考えて、彼はそれを役所の同僚の話に結びつけて見た。

彼はある人の所蔵にかかる本居翁の肖像というものを見たことがある。それは翁が名古屋の吉川義信という画工にえがかせ、その上に和歌など自書して門人に与えたものの一つである。その清い眉にも涼しい目もとにも老いの迫ったという痕跡がなく、まだみずみずしい髪の髻を古代紫の緒で茶筅風に結び、その先を前額の方になでつけたところは、これが六十一歳の翁かと思われるほどの人がその画像の中にいた。翁は自意匠よりなる服を造り、紗綾形の地紋のある黒縮緬でそれを製し、鈴屋衣ととなえて歌会あるいは講書の席上などの式服に着用した人であるが、その袖口には紫縮緬の裏を付けて、それがまたおかしくなかったと言わるるほどの若々しさだ。早く老けやすいこの国の人たちの中にあって、どうしてそれほどの若さを持ち続け得たろうかと疑われるばかり。こんな人が誤解されやすいとしたら、それこそ翁の短所からでなくて、むしろ晩年に至るまでも衰えず若葉してやまなかったような、その長い春にこもる翁の長所からであったろうと彼には思われる。